陸奥亮子 安政3年ー明治33年(1856-1900) 明治時代の政治家で外交官でもあった伯爵・陸奥宗光の妻。日本赤十字社正社員。その美貌 と聡明さによって「ワシントン社交界の華」と呼ばれた。(Wikipediaより)本当に美しく気品があります。当時の社交界の舞台、鹿鳴館を背景にしてみました。カラーに描く→
女武者 明治時代の今で言うコスプレ写真
戊辰戦争で活躍した、会津藩女武者・中野竹子とは全くの別人。カラーに描く→
楠本高子 嘉永5年ー昭和13年(1862-1938)ドイツの医師・博物学者のシーボルトの孫娘。
美しい顔立ちの割には寂しげで物憂げな表情は、その生い立ち、境遇のせいであったからなのか。
20歳頃の写真。カラーに描く→
カラーに描く→ 花魁 小紫 (稲本楼)
金子 みすゞ(本名 金子 テル)、明治36年(1903)ー昭和5年(1930)童謡詩人カラーに描く→
みすゞは女学校時代より成績優秀で、教師に師範学校を出て教師になることを勧められたが断り、家業の本屋を手伝う。大正12年(1923)より童謡を書き始め、雑誌「童話」などに投稿し、その作品が認められるようになる。童謡詩人会編「日本童謡集」1926年版に「お魚」と「大漁」の詩が載った。1926年に結婚したが、夫に病気をうつされ、次第に床に臥せるようになり、離婚を決意。一人娘(ふさえ)の親権で夫と争い「娘は、母ミチに養育をさせて欲しい」と遺書を残し1930年(昭和5年)服毒自殺する。芥川龍之介の自殺に影響されたともいわれている。
かわいい舞子さん カラーに描く
山崎富栄 大正8年(1919)-昭和23年(1948)父山崎晴弘が日本初の美容学校を設立した関係で美容士となる。昭和19年(1944)に結婚するが、夫が戦死。その後美容師を続けるが、昭和22年(1947)たまたま屋台のうどん屋で、飲酒中の太宰治と知り合い、太宰夫人美知子を気遣いながらも深い関係となる。肺結核を患っていて死を覚悟する太宰に自分も死を共感するようになる。昭和23年(1948)玉川上水に太宰と共に身を投げ入水自殺をする。 カラーに描く→
お葉 (本名 佐々木カネヨ)明治37年(1904)-昭和55年(1980)
秋田県で生まれたお葉は、12歳で上京し、画家竹久夢二、伊藤晴雨、藤島武二らのモデルになる。そして、後世に残るような数々の絵画のモデルになった。特に竹久夢二との同棲時代に、夢二のモデルとなった大正浪漫と退廃的な表情の絵は有名である。 カラーに描く→→
戦後の女性 写真出典 https://kotesoku.blog.jp/archives/1031199442.html
(コテ速様より)カラーに描く→
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