
新島(山本) 八重、弘化2年(1845) - 昭和7年(1932)
幼い頃より男勝りで、実の兄より洋式砲術の操作法を学ぶ。会津戊辰戦争の時には、若松城にスペンサー銃を持ち込み籠城する。八重は髪を断ち、男装しており、後に「幕末のジャンヌダルク」と呼ばれるようになる。ただ、八重は銃にこだわり、薙刀中心の中野竹子らの「婦女隊」に加わらなった。もちろん、上の絵は八重の後年の姿で回顧目的で撮られたものと思われます。新政府軍の攻撃で崩落寸前の会津若松城を背景に描いてみました。

中野竹子 弘化4年(1847年〈定かではない〉ー明治元年(1868)
会津藩の女性として生まれた中野竹子は、幼年時代より男勝りで、読み書きなども優秀であったという。容姿も妹の優子とともに美しく、会津美人として評判の姉妹であった。また若い頃より薙刀(なぎなた)を習い免許皆伝ほどの腕前であったという。
会津戊辰戦争(1868年)の際には、母こう子と共に薙刀中心の女性だけの「婦女隊」を結成した。しかし、健闘むなしく新政府軍の銃弾が額に当たり、その際新政府軍に自らのの首級をさらすことをおそれ、こう子と優子に介錯を頼んだという。22歳(一説に20歳)だったという。
女武者 よくこの写真のモデルを中野竹子と言う人がいますが、全くの別人で明治時代のいわゆる女芸人の人がポーズをとっているそうです。