ベトナム戦争 沢田教一氏撮影「安全への逃避」

安全への逃避 カラー化

左の少年がアンさん、中央の少女がリエンさん、手前が母親。


65年9月6日は晴れていた。正午頃、当時14歳だったグエン・バン・アンさん(72)が8歳の妹のグエン・ティ・キム・リエンさん(66)や母、村人らと防空 壕ごう で息を潜めていると、爆撃の 轟音ごうおん が響いた。米兵たちが近寄り、銃を向けてきた。子供は泣き叫び、女性は手を合わせて「殺さないで」と懇願した。アンさんは「ここで死ぬ」と感じた。米兵たちは、安全な場所へ移るように命じた。アンさんとリエンさんは母に導かれ、爆音の中、自宅の前の川に足を踏み入れた。10メートルほど向こうの岸で軍服を着た男が銃のようなものを構えていた。「カシャッ」という音が聞こえ、撃たれると思った。必死で岸に上がると、周囲には村人の遺体が転がっていた。安全な場所に集められ、午後5時頃に帰宅を許された。
 男が写真家だったと知ったのは1年後、沢田が写真を持って村を訪ねてきた時だった。会話をした記憶はないが、ハンサムでフレンドリーだったのを覚えている。沢田は68年に再訪し、コメや現金を手渡してくれた。「安全への逃避」について、リエンさんは「当時のベトナムではどこにでもあった光景。私たちが特別ではない」と振り返る。それでも沢田に感謝するのは、写真を見る度に「子供たちを安全に導く勇敢な母」を思い出させてくれるからだ。
 リエンさんが6歳の時に父は家を出た。母は農業や雇われ労働をしながら女手一つで育ててくれた。「そんな母を誇りに思う。写真を見た人が、母に好感を持ってくれると思うとうれしい」と話す。
讀賣新聞オンライン (2023・9・25)記事より抜粋。

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