お昼のお弁当の時間といえば、今も昔も楽しみな時間ですが、昭和20年から30年初期頃(戦後期)までの学校のお昼の時間に、色々と複雑な思いをした人がいました。その当時は、今の飽食の時代からは、想像つかないくらいに物や食品が不足していて、その日ゝのお弁当にも親御(おやご)さんは苦労していました。白米のご飯の人もあれば、麦飯が多く入っているためにご飯が黒っぽくなっているという人、ご飯に梅干だけの「日の丸弁当」の人や、お弁当を作ってもらえず、お昼の時間は校庭で遊んでいたなどという人さえいました。やがて学校給食の開始は、子ども達はもちろん親御さん達をどれだけほっとさせたことでしょう。そんなお弁当を持っていった頃の教室です。新聞紙などで包んだお弁当をひろげ、ある人は、質素なお弁当を恥ずかしいと思い、ある人は、贅沢なお弁当を他の人に見せびらかせすのを嫌がり、それぞれ隠すようにして食べたものでした。