関東大震災 浅草仲見世通り 上の絵は、大地震発生より少し日が経ったころだ思われる浅草寺表参道のものです。1885年に造られた仲見世通りの建物は半壊してしまっています。その瓦礫の間を浅草寺へ行き来する人がいます。この人たちは、当時浅草寺は支援物資拠点や避難所のひとつになっていて、炊き出しや給付が行われていたそうで、そこへ向かう人達と思われます。被災直後というのに整然とした人の流れ、清潔な身なりの様子の人達は、現代にも通ずる日本人の特性のように感じます。
浅草に詳しい人は不思議に思われるかもしれませんが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼けるまで、五重塔は仲見世から見て宝蔵門の右側に建てられていましたが、1973年に再建される際、右側だと近い将来高層ビルが建ち、その影響で風が起きたり、上から見下ろされることを危惧して、反対の西側に建てられたそうです。