大正12年(1923)9月1日午前11時58分に発生した相模湾北西部を震源地とする大地震。特に東京・横浜での被害が多く、死者10万人、行方不明者4万人を超えた。

大地震前の浅草六区と凌雲閣(浅草12階塔) 明治43年頃(1910)関東大震災前の浅草風景 右手の並木の向こうにひょうたん池があり、左手前の建物は、映画館としても有名であった大勝館。(現在はドン・キホーテ)中央にそびえ立つ凌雲閣は、明治23年(1890)に建てられた12階建ての展望塔。中には、エレベーターや店舗があったと言います。

震災後の浅草 一番上の浅草六区の写真は、赤い矢印付近から凌雲閣に向かって撮られたものと思います。その一帯は、すべて瓦礫の山と化しています。この付近は火災の被害も大きく、凌雲閣は8階付近から崩落してしまっています。ただ、緑のある付近の建物は無事だったようで、植栽がいかに防災・防火に役立ったかがわかります。右の林の向こうに浅草寺があり、ここも銀杏並木のおかげで助かり、被災者の救護施設所になったそうです。

関東大震災 浅草仲見世通り 上の絵は、大地震発生より少し日が経ったころだ思われる浅草寺表参道のものです。1885年に造られた仲見世通りの建物は半壊してしまっています。その瓦礫の間を無事だった浅草寺へ行き来する人がいます。この人たちは、当時浅草寺は支援物資拠点や避難所のひとつになっていて、炊き出しや給付が行われていたそうで、そこへ向かう人達と思われます。被災直後というのに整然とした人の流れ、清潔な身なりの様子の人達は、現代にも通ずる日本人の特性のように感じます。
浅草に詳しい人は不思議に思われるかもしれませんが、1945年(昭和20年)の東京大空襲で焼けるまで、五重塔は仲見世から見て宝蔵門の右側に建てられていましたが、1973年に再建される際、右側だと近い将来高層ビルが建ち、その影響で風が起きたり、上から見下ろされることを危惧して、反対の西側に建てられたそうです。