
岩倉使節団 左から、木戸孝允(きどたかよし)・山口尚芳(やまぐちなおよし)・岩倉具視(いわくらともみ)・伊藤博文(いとうひろぶみ)・大久保利通(おおくぼとしみち)
<サンフランシスコで撮影>

ビスマルク Otto E. L. Von Bismarck(1815-1898)1862年プロイセン首相に任命されると、富国強兵政策をとり、1867年普墺戦争、1871年普仏戦争に勝利してドイツ帝国を築く。
岩倉使節団とビスマルクは、1873年にドイツで会見し、ビスマルクが「大国は軍事力を行使する」という現実主義的外交(鉄血政策)の要諦を説き、明治日本が近代化を進める上で重要な示唆を与える。使節団はビスマルクの政策に感銘を受け、その後の日本陸軍のドイツ式への転換や、国力増強の必要性を学ぶ契機となった。

伊藤博文 天保12年ー明治42年(1841-1909) 明治時代に、4度にわたって内閣制度発足以降の内閣総理大臣を務めたことで知られる。一次内閣時には明治憲法の起草の中心人物となり、二次内閣では日清講和条約の起草にあたった。四次内閣の組閣に際して立憲政友会を結党して初代総裁となり、政党政治に道を開いた。
ビスマルクに強く影響されて、憲法公布の際には、ドイツ憲法を参考にしたと言われる。「日本のビスマルク」と称されることもある。