今でこそ、鉄道の踏切の遮断機は自動で開閉することが当たり前になっていますが、昭和40年代頃までは、手動で開閉していた踏切が結構ありました。踏切の一角に建てられた踏切小屋に「踏切番」という人が待機して、電車が踏切を通過する時刻に、丸い大きなハンドルを回し、止まれと書いた札の付いたワイヤーを下ろし通行を止め、電車が通過すると、ハンドルを逆に回し、札の付いたワイヤーを上げ通行できるようにしました。
詳しくは知りませんが、恐らくは、開閉の時間は何らかの指示があったと思いますが、今考えると、人がやっていたのかと思うとちょっと怖い気がします。私の記憶でも、一度、踏切番の不注意で踏切事故が発生したことがあり、大騒ぎになったことを覚えています。
踏切番という名称も、古くは、「踏切警手」「踏切看手」「ゲイト番人」「門番」などと呼ばれていたらしく、小さな踏切には女性もいて「旗振女」「踏切おばさん」などと親しみを込めて呼んでいたようです。また、松山恵子「むすめ踏切番」などという歌謡曲もあるようです。