ある日、米軍基地のあった私の町に、その米軍(一般に進駐軍と言っていた)から私たち日本の小学生と米軍の子供達と野球の親善試合をしないかという誘いが舞い込んできました。学校も親も大変乗り気になり、早速チームが編成され6年生だった私たちが試合をすることになりました。しかし、当時はまだ野球のユニフォームなどを買える余裕がなく、親たちはアメリカさんに失礼があってはいけないということで、急遽手作りのユニフォームを作ることになりました。まず親の大きめの丸首シャツに背番号を入れ、トレパンを捲し上げ何とかユニフォームもどきを作りました。
当日は勇んで米軍が用意した進駐軍のトラックに乗り基地内に入りました。基地内は一面広々とした芝生で、ポツンポツンと住居があるぐらいで、余りにも我々の住んでいる街並みと違うことにまず驚かされました。まさにテレビで見たアメリカドラマの風景です。しかし、我々が勇んで乗り込んだ割には残念ながら米軍の子供達はどこかシラケ気味で、勝つには勝ったのですが、試合内容は覚えていません。ただ、試合の後に驚かされたのが、コックをひねると冷たいジュースが出るよう車が用意されていて我々にご馳走してくれました。「渡辺のジュースの素」しか知らない私たちは、その未知の味と無尽蔵な量に度肝を抜かされました。そして、そこでやはり初めてコーラ、ハンバーガーもご馳走になりました。
あれから60年近くたちました。いま日本ではどこの街にも好きなジュースが自動販売機で買える時代となりました。ただ、あの時の冷たいジュースの味は今でも忘れられません。あの時のアメリカの少年たちも、今ではおじいちゃんとなり、時にはあの日の日本の少年との野球の試合を思い出してくれているでしょうか。