テレビの思い出


我が家に始めてテレビが来たのは、昭和35年ごろでした。そしてその頃の番組で何よりも驚かされた番組は、アメリカのホームドラマでした。広い土地の大きな家には、自家用車が必ずあり、背の高いパパと美しいママ、目のくりっとしたブロンズヘアーの子どもたち、冷蔵庫から冷たい飲み物を出して、ステーキを食べる。何もかも驚きのシーンでした。
何しろその頃の日本といえば、自動車どころか自転車すら簡単に買えなかったし、小さい家に小さいお父さん、飾り気のないお母さんに、青っ洟(あおっぱな)を垂らした子どもたち、生ぬるい水で作った※「渡辺のジュースの素」が何よりの贅沢でした。おやつといえば、塩むすびや※竹の皮に梅干を包んでなめたりしていました。
その頃日本では、将来自家用車が持てるような時代が来ると思っていなかったし、アメリカとの生活レベルはどこまでいっても縮まらないと、誰もが思っていました。
それから日本は劇的な成長を遂げ、世界と肩を並べるまでの経済大国になりました。しかし、あの時のブラウン管テレビが姿を消したと同時に、あの頃のハングリー精神を忘れた日本は、元気を無くしているように思います。
渡辺のジュースの素 渡辺製菓の商品。粉末状のもので水で溶かすとジュースになるもの。
竹の皮と梅干 竹の皮に梅干しを包み、外側から舐めて竹の皮から梅干しのエキスがしみ出てくるのを楽しむ。長時間楽しめたので人気があった。

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