傷痍軍人

昭和20年代から30年代にかけて、都会の大きな駅前など人の集まる場所で、白い装束と戦闘帽を被って、アコーディオンやハーモニカを弾いている人達がいました。その人達は、傷痍軍人(しょういぐんじん)と呼ばれ、太平洋戦争で負傷し、手や足に障害を受けた人達でした。子どもの目からは、その光景は異様に写りましたが、遠くからじっと見ていた記憶があります。悲しげなメローディと鈍く光る義足や義手が、子どもであった私に強烈な印象を与えました。おとなの人の中には、戦争が終わって何年も経つのにいつもでも「傷痍軍人」でもないだろうなどと言う会話も当時聞かれました。後にその人達は、外国人で(朝鮮、台湾人等)無理やり日本人として、戦争に借り出され怪我をされた人達だと耳にしたことがあったがありますが確かなことはわかりません。まだ、戦争の傷跡があちこちに見られた時代でした。

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